概要
近年、外資企業の「中国離れ」が加速しており、撤退や事業縮小の動きが顕著になっている。この背景には、経済成長の鈍化、人件費の高騰、現地企業との競争激化といった経済的要因に加え、米中対立の激化や中国政府による規制強化といった政治的・地政学的リスクの高まりが複合的に作用している。
データ上でもこの傾向は明らかであり、2023年の中国への対内直接投資(ネットフロー)は前年比で8割以上減少し、約30年ぶりの低水準に落ち込んだ。特に、これまで「世界の工場」として中国市場を活用してきた製造業や、巨大な消費市場を狙った小売業、そしてITプラットフォーム企業など、幅広い業種で撤退・縮小の事例が相次いでいる。
この動きは、単なるコスト削減や市場の魅力低下への対応に留まらない。多くの企業は、地政学リスクを回避し、サプライチェーンの強靭性を高めるため、生産拠点を友好国に移管する「フレンドショアリング」を軸としたグローバルな事業再編を進めている。その結果、ASEAN諸国やインドが新たな投資先として注目を集めており、世界経済が米中を中心とする二つのブロックに分断されつつある現状を浮き彫りにしている。
詳細レポート
1. 外資企業の中国撤退の動向とデータ
中国からの外資撤退の動きは、各種データによって裏付けられている。中国国家外貨管理局の国際収支統計によると、中国への対内直接投資(ネットフロー)は近年急減しており、2023年には330億ドルと、ピークだった2021年の1割弱にまで落ち込んだ。特に2023年第3四半期以降、複数回にわたり四半期ベースでマイナスを記録しており、これは新規投資を撤退・事業縮小の規模が上回ったことを示している。
日本企業の動向を見ても、財務省の統計によれば、対中直接投資の「実行」(新規投資)額が2021年をピークに減少傾向にある一方、「回収」(撤退・事業縮小)額は増加傾向にある。経済産業省のミクロデータを用いた分析では、日系現地法人の撤退比率は、2012年の日中関係悪化以降、全地域での平均を上回る水準で推移している。
2. 撤退を加速させる複合的要因
外資企業の中国撤退は、単一の理由ではなく、複数の要因が複雑に絡み合って引き起こされている。
経済環境の変化
- コスト上昇: かつて「世界の工場」としての魅力を支えた安価な労働力は過去のものとなり、人件費は過去10年で大幅に上昇した。JETROの調査では、中国の賃金水準はASEAN主要国の1.3倍から1.4倍に達しており、コスト面での優位性は失われている。燃料価格の高騰も、製造業や運送業の経営を圧迫している。
- 経済成長の鈍化と消費低迷: 中国経済はかつての高成長期を終え、成長率が鈍化している。特に不動産バブルの崩壊はデフレ傾向を強め、消費者の節約志向を加速させている。これにより、小売業や外食産業などは深刻な販売不振に陥っている。
- 現地企業との競争激化: 中国企業は技術力を急速に向上させ、多くの分野で外資企業の強力なライバルとなっている。特に電気自動車(EV)、スマートフォン、ITサービスの分野では、価格競争力と技術力を兼ね備えた現地企業が市場シェアを拡大し、外資企業を圧倒するケースが増えている。
政治・規制環境の変化
- 米中対立と地政学リスク: 2018年以降の米中対立の激化は、貿易だけでなく投資や技術移転においても「デカップリング(分断)」を促している。米国による追加関税や、先端半導体分野などでの対中投資禁止措置は、企業の事業戦略に直接的な影響を与えている。台湾有事などの地政学リスクも、企業の中国事業に対する警戒感を高める一因となっている。
- 規制強化と優遇策の縮小: 中国政府は近年、国家安全保障を名目に「反スパイ法」や「サイバーセキュリティ法」などの規制を強化している。これらの法律はデータの越境移転を制限するなど、外資企業の事業運営を困難にする内容を含んでおり、特にIT企業にとっては大きな障壁となっている。同時に、かつての外資優遇策も縮小・廃止される傾向にある。
グローバル戦略の転換
- サプライチェーンの再構築: コロナ禍は、生産拠点を中国一国に集中させることのリスクを露呈させた。多くの企業はリスク分散のため、「チャイナプラスワン」戦略を加速させ、生産拠点の多様化を進めている。
- フレンドショアリングの進展: 米中対立が常態化する中で、企業は地政学的に友好関係にある国々でサプライチェーンを完結させる「フレンドショアリング」戦略へと移行しつつある。これにより、中国への依存度を低減し、ASEAN諸国やインド、あるいは自国への投資を拡大する動きが活発化している。
3. 業種別の撤退動向
特定の業種において、撤退や事業縮小の動きが特に顕著に見られる。
自動車産業
中国の自動車市場では、政府の強力な後押しを受けたEVへのシフトが急速に進んでいる。BYDをはじめとする中国のEVメーカーが技術力と価格競争力で市場を席巻する一方、ガソリン車を主力としてきた多くの日系・欧米メーカーは対応が遅れ、販売不振に陥っている。
- スズキ: 2018年に中国市場から完全に撤退。
- 三菱自動車: 2023年に中国での生産から撤退。
- ホンダ、日産: 中国での生産能力を2割程度縮小する計画を発表。
- 現代自動車: 北京や重慶の工場を相次いで売却。
この影響は部品メーカーにも及び、日本製鉄は日系自動車メーカー向けの鋼板を供給してきた合弁事業からの撤退を決定した。
小売・飲食業
eコマースの急速な普及と、経済減速に伴う消費低迷が実店舗型の小売業を直撃している。現地企業との競争も激しく、休廃業率が他の業種に比べて際立って高い。
- 三越伊勢丹HD: 中国国内の店舗を大幅に縮小し、2024年6月には「上海梅龍鎮伊勢丹」を閉店。
- ローソン、セブン-イレブン: 親会社別の休廃業社数ランキングで上位に位置し、多数の店舗を閉鎖している。
- カルフール(仏)、テスコ(英)、ロッテ百貨店(韓): いずれも中国事業を売却し、実質的または完全に市場から撤退した。
IT・プラットフォーム産業
中国独自の厳格なインターネット検閲(グレート・ファイアウォール)や、データセキュリティに関する法規制強化が、グローバルなプラットフォーム企業にとって大きな事業障壁となっている。
- Google: 2010年に検索事業から撤退。2022年には翻訳サービスも停止した。
- Amazon: 2019年に中国国内向けEC事業、2023年に電子書籍ストア「Kindle」を閉鎖。
- LinkedIn (Microsoft傘下): 2021年に中国版SNSを停止し、2023年には求人特化アプリも終了。
- IBM: 2024年に中国の研究開発部門を閉鎖し、機能を他国へ移転する計画を発表した。
- Airbnb, Yahoo: いずれも中国市場から撤退している。
電子機器産業
米国の追加関税や生産コストの上昇、サプライチェーン寸断リスクへの対応から、生産拠点を中国からベトナムやインドなどへ移管する動きが活発化している。
- サムスン電子: 2019年に中国でのスマートフォン生産を終了し、ベトナムやインドに拠点を移した。
- ソニー: 北京のスマートフォン工場を閉鎖し、生産をタイに集約。
- 任天堂: 主力ゲーム機「ニンテンドースイッチ」の一部生産をベトナムに移管した。
4. 国・地域別の動向
日本企業
製造業を中心に撤退・縮小が相次いでいるが、一方で競争力のあるサービス業(飲食店など)では進出を続ける企業もあり、勝ち組と負け組の二極化が進んでいる側面もある。撤退の主な理由として、販売不振、人件費高騰、現地法令・商慣習への対応の難しさが挙げられている。
米国企業
米中対立を背景に、特にハイテク企業やプラットフォーム企業の撤退が目立つ。政府の規制強化も相まって、中国事業のリスクが他国企業以上に高まっている。金融機関においても、中国進出計画の撤回や合弁事業からの離脱といった動きが見られる。
韓国企業
2017年のTHAADミサイル配備問題を巡る中国政府からの制裁が、ロッテグループなどの事業に大きな打撃を与えた。また、技術力の面で中国企業の猛追を受け、競争優位性を失ったことも撤退の一因となっている。調査によると、中国進出韓国企業の37%が5年以内の撤退・移転・縮小を検討している。
5. 今後の展望:グローバル戦略の再編
現在進行している外資企業の中国撤退は、単なる一国からの退避ではなく、より大きな枠組みでのグローバルな事業再編の一環と捉えるべきである。
日本企業を対象としたアンケート調査では、今後の販売先、投資先、調達先として中国の重要性が低下する一方、ASEAN諸国やインドの重要性が高まるという見通しが示されている。これは、企業が地政学リスクを低減し、安定的で信頼できるパートナー国との経済連携を深める「フレンドショアリング」を重視していることの表れである。
この潮流は、米国が主導する「CHIPSおよび科学法」のような政策によっても後押しされている。これにより、半導体などの戦略物資のサプライチェーンは、中国を意図的に排除する形で再構築が進んでいる。
結論として、外資企業の「中国離れ」は今後も継続する可能性が高い。それは、中国市場の構造的変化と、米中対立を基軸とする世界経済のブロック化という、二つの大きな潮流が交差した結果であり、各国企業は困難な戦略的判断を迫られ続けることになるだろう。