概要
グリコ・森永事件は、1984年から1985年にかけて、日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に、江崎グリコや森永製菓をはじめとする複数の食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。警察庁広域重要指定114号事件であり、「かい人21面相」を名乗る犯人グループによる脅迫、誘拐、製品への毒物混入未遂などの手口が用いられた。社会に大きな衝撃を与え、「劇場型犯罪」の先駆けとも評されたが、犯人逮捕には至らず、2000年2月に全ての事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件としては初の未解決事件となった。
詳細レポート
事件の発生と経緯
江崎グリコ社長誘拐事件
1984年3月18日夜、江崎グリコの社長であった江崎勝久氏が兵庫県西宮市の自宅から2人組の男に誘拐される事件が発生した。犯人グループは身代金として現金10億円と金塊100kgを要求したが、江崎社長は3日後の3月21日に監禁されていた大阪府茨木市の水防倉庫から自力で脱出し、保護された。
「かい人21面相」の登場と脅迫の拡大
社長誘拐事件後、犯人グループは「かい人21面相」と名乗り、江崎グリコに対して脅迫や放火を繰り返した。その後、脅迫の対象は丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋といった他の食品メーカーにも拡大した。犯人グループは企業だけでなく、マスメディアにも140通を超える挑戦状や脅迫状を送りつけ、捜査を攪乱し、社会の注目を集めた。この手口から「劇場型犯罪」と呼ばれるようになった。
毒物混入事件と社会的影響
犯行はエスカレートし、1984年5月にはグリコ製品に青酸ソーダを混入したと声明を出し、実際に青酸入りの菓子が店頭に置かれる事件が発生した。これにより、グリコ製品は店頭から撤去され、同社は数十億円規模の損害を被った。同様の手口は森永製菓に対しても行われ、1984年10月には京阪神や愛知県名古屋市の店頭で青酸入りの森永製菓製品が発見され、同社も大きな損害を受けた。これにより、消費者の間に広範な不安が広がり、食品業界全体に深刻な影響を与えた。
捜査の難航と「キツネ目の男」
警察はのべ130万人もの捜査員を投入し、大規模な捜査を展開したが、犯人グループの巧妙な手口の前に捜査は難航した。現金受け渡し場所は次々と変更され、犯人は一度も現金の受け渡し場所に姿を見せなかった。捜査の過程で、1984年6月の丸大食品への脅迫事件の際、現金輸送役の捜査員が電車内で不審な男を目撃し、この男は「キツネ目の男」として似顔絵が作成され、重要参考人とされた。また、1984年11月には滋賀県警の刑事が大津サービスエリアで「キツネ目の男」と酷似した人物を発見したが、職務質問は禁じられていたため見失うという事態も発生した。防犯カメラに映っていた「ビデオの男」も有力な容疑者とされたが、いずれも特定には至らなかった。
事件の終息と時効成立
1985年8月、「かい人21面相」は「くいもんの会社 いびるの もお やめや」とする終息宣言を報道機関に送りつけ、以降、新たな犯行は発生しなくなった。しかし、犯人逮捕には至らないまま時間が経過し、江崎グリコ社長誘拐事件の公訴時効(1995年6月)を皮切りに、各事件の時効が次々と成立していった。そして2000年2月13日、愛知県での青酸入り菓子ばら撒き事件における殺人未遂罪の時効が成立し、グリコ・森永事件に関連する全ての事件の公訴時効が成立した。これにより、同事件は警察庁広域重要指定事件としては初めての未解決事件となった。
犯人像
犯人グループは「かい人21面相」と名乗り、その名称は江戸川乱歩の小説に登場する怪盗「怪人二十面相」に由来するとされる。犯人の正確な人数や構成は不明のままである。脅迫状や犯行声明では、警察を挑発するような文面や、大阪弁などが用いられた。
主な容疑者として「キツネ目の男」や「ビデオの男」が浮上したが、身元の特定や逮捕には至らなかった。犯行の動機も依然として不明である。
事件の特異性と影響
グリコ・森永事件は、その手口の巧妙さ、社会に与えた衝撃の大きさ、そして未解決に終わった点において、日本の犯罪史上特異な事件として記憶されている。
- 劇場型犯罪: マスメディアを巧みに利用し、社会全体を巻き込む「劇場型犯罪」の典型例とされる。
- 企業への打撃: 標的とされた企業は、製品回収や生産停止、ブランドイメージの低下などにより、莫大な経済的損失を被った。
- 模倣犯への懸念: 事件後、同様の手口による模倣犯の出現が懸念された。
- 捜査への教訓: 警察は威信をかけて捜査にあたったが、犯人グループの巧妙な手口に翻弄され、結果として未解決に終わったことは、その後の捜査手法にも影響を与えた可能性がある。
未解決事件としての現在
全ての事件の公訴時効が成立し、法的には犯人を訴追することは不可能となった。民事上の損害賠償請求権も2005年3月に消滅している。事件から数十年が経過した現在も、真犯人や犯行の動機については様々な憶測や分析がなされているが、真相は依然として闇の中である。この事件は、多くのノンフィクション作品や小説、映画などの題材ともなっている。
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